六波羅蜜 『禅定(ぜんじょう)』
 
 
お坊さんの修行って…。
いったいどんなことをやっているの?
 
 
そんな質問を受けることがあります。
 
 
普段は特別なことをやっているわけではありません。
(お坊さん向けのカリキュラムのような修行もありますが…。)
 
 
基本的に『日常生活』がそのまま仏道修行という感じです。
 
 
難しいことをやっているわけではないので、
この機会に今日から一週間、
私と一緒に仏道修行をして
素敵人を目指してみましょう。
 
 
 
般若心経というお経の中に、
『波羅蜜(はらみつ)』
とか
『波羅蜜多(はらみった)』
という言葉が頻繁に出てきます。
 
 
おじいちゃんおばちゃんが、
仏壇でぼそぼそとお唱えしていたりして、
耳にしたことがある人もいるかもしれません。
 
 
そもそも、
『波羅蜜多(はらみった)』とは…
悟りの(迷いの無い)世界に到達すること。
という意味です。
 
 
そして、
悟りの世界に到達する為の修行に、
『六波羅蜜』
というのがあります。
 
 
六波羅蜜を簡単に説明すると、
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵
の六つの修行のことです。
 
 
 
今日は、
『禅定(ぜんじょう)』
についてお話したいと思います。
 
 
 
 
心が穏やかで暖かみのある人は、
他人の凍りついた心を癒すことができます。
 
 
禅定とは、
『心が静まっていて、温度が高い状態』
です。
 
 
意外と普段、
心の温度のことまでは考えないでしょ?
 
 
でも、
心の温度はかなり大切なことだったりします。
 
 
心は穏やかでもいいのですが、
温度が低くなると大変なことになります。
 
 
実際に昔、
こんな体験をしたことがあります。
 
 
 
当時は若者の間で、
何事も一生懸命にやることを、
恥ずかしいと思うような風潮がありました。
 
 
そんなときに若者がよく口にしていた言葉が、
 
『クールに』
『冷静に』
『暑苦しい』
『むき(必死)になってダサい』
 
などの言葉でした。
 
 
そういったこともあって、
この頃の私は、
何かに必死になったり、
むきになったり、
熱中することがカッコ悪いと
勘違いしていました。
 
 
きっと恋愛や仕事で失敗することや、
結果を出せずに傷つくことが怖かったから、
周囲に流されていたんでしょうね。
 
 
 
ところで、
その状態で長く過ごした私は
どうなったと思いますか?
 
 
私の場合、
この世のすべてが、
楽しくなくなったんですよ。
 
 
 
何をやっても、
嬉しくない。
楽しくない。
 
 
そして、
自分のやりたいことや
望みすらもわからない。
 
つまらないのかどうかもわからない。
 
 
完全に感情がマヒしてしまったんです。
 
 
心を安定させようとして、
心が感動を抑えるんです。
 
 
それが、
自分の中でいつの間にか当たり前になってしまって、
感動や興奮を感じる機能が
いちじるしく低下してしまったんです。
 
 
そう、
人を癒す立場になった今なら解かります。
 
 
 
非常にまずい状態ですよ(笑)。
 
 
これでは、
自分を殺すのと同じ。
 
 
(私は幸いにも、
ある時この悪循環に陥っている自分に気が付きました。)
 
 
心を安定させることだけに偏ってしまうと、
心の温度がどんどん下がっていきます。
 
 
心の温度が下がると、
感情が鈍くなって、
少しずつ無感動人間になっていきます。
 
 
そんな状態をつくりだすことが、
禅定ではないですよね。
 
 
心が穏やかで、雑念が無く、
物事に集中できてエネルギーに満ちた状態。
 
 
それが禅定だと思います。
 
 
何かに夢中になれることって
素晴らしいと思いませんか?
 
 
必死こいてムキになって、
迷い無く何かに熱くなっている。
 
 
その熱量が、
心の氷を溶かす。
 
 
そんな熱い人こそ、
素敵人だと思います。
 
 
 
あなたは何かにムキになれていますか?